アンタビュース:断酒薬の2度目の転身

佐藤健太郎 | 佐藤健太郎の健康と化学のこぼれ話 第15回

筆者のように長年化学について書く仕事をしていると、人間と同じように化合物にも運命のようなものがあるのかな、と思う時があります。たとえば数奇な運命をたどった化合物として、サリドマイドのケースなどが思い浮かびます。安全な睡眠薬として誕生したものの、世界的な規模の薬害事件を引き起こして販売中止になり、後に抗がん剤として復活したという、実に波乱に満ちた生涯(?)を送っています。

 

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今回取り上げるアンタビュースという薬も、サリドマイドには及ばぬものの、なかなか面白い運命を辿っている化合物です。その発見は、第二次世界大戦中にまで遡ります。

 

このころ、デンマークのイェンス・ハルド博士は、駆虫薬(いわゆる虫下し)の研究を行っていました。ある日彼は、ジスルフィラムという化合物が、ウサギでの実験で効果を示すことを発見します。そこで彼は、人間でも安全かつ駆虫効果があるかどうか試そうと、友人のヤコブセン博士と共に、自らこの化合物を飲んでみることにしました。今の感覚でいえば、ろくな安全性試験もせぬままいきなり人体での実験など無茶もよいところですが、当時はまだ化学物質の害についてあまりよく知られていなかったこともあり、かなり大らかにこうした人体実験が行われていたようです。

 

ジスルフィラムを飲み始めて何週間か経過し、二人は時折めまいや吐き気、顔面紅潮などに襲われることに気がつきます。ある日彼は、コニャックを一本開けた後にまたしても気分が悪くなり、今まで体調を崩したのは酒を飲んだ時だったと気づきます。ヤコブセン博士に話したところ、なるほど自分もそうだという答えが返ってきました。酒を飲むと苦しくなるというのでは、駆虫薬としては使い物になりません。

 

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1947年、ハルド博士がある会合でこの話を披露したところ、居合わせた新聞記者が面白がってこれを記事にしました。するとこれを読んだ読者から、ジスルフィラムを請求する手紙がハルド博士のもとに次々と送られてきたのです。酒を飲むと気分が悪くなる薬など、いったい何に使うのか?実は、アルコール依存症に苦しむ患者が、酒を断つためにこの薬を使いたいという申し出だったのでした。

 

名前にこめた思わぬ使いみち

 

虫下しのでき損ないと思っていた化合物に、意外な使いみちがあることに気づいたヤコブセン博士は、これを「アンタビュース」と名づけて売り出します(「アンチ(anti)」+「乱用する(abuse)」の意味)。かくしてこの化合物は、断酒薬として広く使われ、アルコール依存症からの脱出を助けることになったのでした(以上『からだと化学物質』(J・エムズリー、P・フェル著、丸善)より)。

 

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作用のしくみ

 

ところで、アンタビュースことジスルフィラムは、体内でいったい何をしているのでしょうか?我々が飲酒をして体内に入ったアルコール(エタノール)は、酵素のはたらきでアセトアルデヒドへと変化します。この化合物には毒性があり、二日酔いの不快な症状を引き起こします。その後アセトアルデヒドは、ALDHという酵素の作用によって酢酸(酢の主成分)へと変換され、無毒化されてゆきます。

 

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ジスルフィラムは、このALDHにとりついてそのはたらきをブロックする作用を持ちます。こうなると少量の酒でも有害なアセトアルデヒドが体内にたまってしまいます。いわばなかなか治らないひどい二日酔いの状態に陥ってしまうわけです。

 

再び脚光を浴びる

 

このように、駆虫薬から断酒薬へと華麗な転身を果たしたジスルフィラムですが、誕生から70年を経た今になって、再び新天地が開けようとしています。ジスルフィラムは最近になり、がんに効くのではないかと期待されているのです。そのメカニズムを解明した論文が、このほど世界最高の権威を誇る科学論文誌「Nature」に掲載されました。

 

この論文によれば、アルコール依存症でジスルフィラムを飲み続けている人と、一般の人とを比較した場合、前者にはがんの発生率が低いのだそうです。ここから原因を探っていくうち、体内でジスルフィラムが代謝されてできた化合物がミソであることが突き止められました。この代謝物が体内のタンパク質分解機構をストップさせ、がん細胞を細胞死に追いやっているのだそうです。

 

ジスルフィラムの効果を確かめるための、肝臓がんなどに対する正式な臨床試験もすでに始められているということです。効き目については今までにも多くの証拠がありますし、人体への安全性についてもすでに70年の使用経験があるので、ジスルフィラムが抗がん剤として認められる効能性は十分ありそうです。

 

思わぬものが実は意外な作用を持っている、という話は世の中にたくさんあります。こうしたところが、健康に関する研究の醍醐味ともいえるでしょうか。

 

著者プロフィール

連載情報

  • 佐藤健太郎の健康と化学のこぼれ話
  • 佐藤健太郎
  • 製薬企業の研究職を経たサイエンスライターの視点から、日常の化学をわかりやすく解説。読んでためになる意外な化学・科学の入門編です。科学と上手につきあうきっかけにおすすめです。

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